
M&Aの先駆者 レコフ創業者の思い
M&Aとの出会い
私がM&Aと出会ったのは1973年のことです。米国投資銀行の中国系米国人から、偶然、米国企業の「売却案件リスト」を見せられました。会社を売る、という言葉を初めて耳にし、ショックを受けたし、興奮もしました。私は当時、山一證券本店の課長代理でしたが、これは面白いと直感的に感じて、会社の幹部に掛け合い、M&A専業部隊として5名の課を本店内に設置してもらいました。
翌年の1974年、神奈川県のスーパーマーケットの事業譲渡案件が成約しました。売り手がコミーマート、買い手が大丸ピーコックです。この案件が、仲介者が売り手と買い手の双方に提案し、ビジネスとして成功報酬をいただいた初めての案件です。成功報酬の手数料表も我が国には前例がなかったので、リーマン・ブラザーズが米国で使っていた手数料表を和訳し、円換算して作成しました。
このころ米国では、モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズといった投資銀行がM&Aをビジネスとして手掛け始めていました。まだ、米国でもM&Aという言葉はなく、こうした案件を「acquisition(アクイジション)」の頭文字をとって「AQ」と呼んでいた、当時はそんな時代でした。

レコフの創業
流通、化学、電機、クロスボーダー等数多くの案件を経験した後、私は山一證券を退社し、1987年12月にレコフを創業しました。社名は、顧客のために徹底的なリサーチをしてサービスを提供しようと考えたのでリサーチの「RE」と、これからM&Aとは密接な関係を持つ領域となるコーポレートファイナンスの「COF」をとってRECOFと名付けました。洋風な社名ですが、私が目指したものは、日本の風土に根付いたM&Aを行っていくことです。それまでの経験を通じて、日本的なM&Aの核心は「心と創造にある」という強い思いがありました。それぞれの企業文化を尊重しながら創造的な提案を行い、企業のトップの想いを繋いでいく、そういった日本的なM&Aサービスを提供する会社にしたいとレコフを創業しました。

この墨文字は創業時に作ったレコフのシンボルマークです。
・M&Aは、新しい価値の創造という頂きにむけ、一歩一歩積み重ねることでしかたどり着けない、強靭な精神力を要する仕事であること
・その頂きが、顧客企業にとって最良の頂きであること
・多くの日本企業が大切にしている自社の歴史や企業文化を十分に尊重すること
そんな思いが込められたものです。

変わらないこと
レコフ創業時は、日本のM&A件数も年間400件程度で、他にM&A助言を専門に行う会社もなく、2~3名で業を営む個人商店とするか、数十名まで増員して「企業化」していくのか、迷いました。後者は挑戦的で楽な道ではありません。ただ、M&Aの案件は一つ一つがすべて異なり常に斬新で、顧客企業に最高の価値を提供できる仕事で、多くの若い人たちに携わってほしいと思いました。今も、その考えは変わりません。M&Aに携わる人たちは、企業の呻吟(しんぎん)の声をきき、M&Aという手法を駆使して悩みに答え、日本経済の主役である企業の成長と変革を、影ながら支える存在であり続けてほしいと願っています。
