Contract interview

“株主・不動産共有者が約90人”という複雑な権利関係を解きほぐし、迷わずM&Aを進めることができたのは、一流の信頼できる道案内人に出会えたから

2023.04.14更新日:2023.04.14
譲渡企業
日本オフィスビル株式会社

インタビュー概要

今から100年前に仙台の地で創業して以来、様々な事業を展開。昭和の高度経済成長期に貸しビル業へとシフトしてから、着実に発展を遂げてきた日本オフィスビル株式会社。現在は仙台駅周辺に4棟の大型オフィスビルを保有し、多くの契約者を抱えるまでに成長を果たした同社が、なぜM&Aを決意することになったのか。どうして、そのパートナーとしてレコフを選んだのか。3代目の社長でいらっしゃる加藤一郎様にこれまでの経緯について伺った。

インタビュイーのご紹介

日本オフィスビル株式会社

代表取締役

加藤 一郎

約100年前、先々代代表が文具卸の加留焦点株式会社を創業し、そこから50~60年の間に貸しビル業へと事業を展開していきました。グループとして3棟目が建築された昭和48年頃、当時は家電販売店に在籍していましたが、三代目として代表取締役に就任されました。そこから最終的に5棟のビルを建設したのち、2022年8月にグループ5社をフィンテックアセットマネジメント株式会社に譲渡されました。

3代目の社長として、
どんどん新しいことに
挑戦していった

Question

まずは会社の成り立ちからお話しください。

加藤(譲渡企業)

100年ほど前、加留商店株式会社という文具の卸会社を、仙台でスタートしたのがそもそもの始まりとなります。戦前にソロバンや筆などを東北6県全体の文房具店に卸していました。その後、先代が太平洋戦争で1年間捕虜となった関係で、米軍内で人脈を築き、戦後はアメリカの事務機器製造企業と取引を開始。耐火書庫の代理権を獲得し、日本耐火書庫という会社を設立しました。重要書類の保管に最適な耐火書庫は、官公庁でも重宝され、順調に業績を伸ばしていきました。

今から40年~50年ほど前、昭和の高度経済成長期に貸しビル業へと事業を展開。所有する文具店の土地にビルを建てることを計画しました。当時は自社ビルがほとんどで、貸しビルというビジネスが非常に珍しい時代。旧店舗のある文具店の土地を利用して建設資金を得るために、先代が出資者を20名ほど募り、土地の一部を購入してもらいました。そして不足分は出資者全員に銀行融資を受けてもらい、第1号日本オフィスビルを建設。同様に第2、第3、第5とビルが建っていくのですが、当時としては画期的な現物出資の方法でした。

その後、バブル景気の頂点を迎えますが、5つのビルで得た収益によって、借入金をすべて返済。それ以降は無借金経営を貫き、銀行借り入れを受けることは一切ありませんでした。その直後にバブル崩壊を迎えたのですが、欲張ってゴルフ場経営に走らなかったことが幸いしたように思えます。最終的に日本オフィスビルは、加留産業を含めて5社のグループ会社となりました。

Question

先代の起業した会社に、加藤様はどのような経緯で関わったのでしょうか。

加藤(譲渡企業)

私は当初、家電販売会社に在籍して、14年間、テレビなどの販売に携わっていました。当時は「特約店」という名の代理店システムがあったが、家電量販店の登場により中間の商売が成り立たなくなってしまいました。そういった時代に、先代から「帰ってこい」と声がかかり、貸しビル事業の世界へ入ることになりました。確か昭和48年、3つ目のビルが建った頃。そこで後継者としてやっていこうと決意しました。

Question

畑違いの不動産ビジネスに飛び込んで、苦労したことはございませんでしたか。

加藤(譲渡企業)

若かったせいか、環境が変わったからといって違和感はありませんでした。当時は仕事に100%の力を注ぎ込むという時代。会社に入って、与えられた仕事をこなすことに全精力をかたむける、そんな姿勢が求められていましたし、私自身も精一杯取り組みました。それは仕事の内容が変わったとしても同じこと。こちらの会社でもどんどん新しいことに挑戦していきました。

事業を継続・発展
させるための
資金調達力が必要だった

Question

M&Aを意識するようになったきっかけを教えてください。

加藤(譲渡企業)

バブル期に、銀行からの融資にケリをつけました。当時はゴルフ場経営をはじめ、様々な投資話にあふれていましたが、すべて断っていまして。思いとどまったのは、特に先を見越していたわけでもありませんが、“この景気は少しおかしいのではないか”と思っていたところはありました。そのうちにバブル崩壊を迎えて、どんどん景気が傾いていきましたね。頂点を迎えていた貸しビル事業も同様に下降線をたどるのかという予感がありました。

借金はありませんが、資金もない状態でした。資産はたくさん持っているとはいえ、どんどんビルは老朽化していくので、どこかで再生する必要があります。取り壊すにも相当の費用が必要で、何十億という資金をどこかで調達する必要がありました。資金を調達できなければ、土地を売却することになってしまいます。

経営者に必要な資質とは、一番は事業を継続し発展させようという意志力、そして資金力や資金調達力だと思っています。私は高齢となって、もうその力は残っていないので、後継者を育てることに精力を傾けなくてはと思いました。しかし、私が“これなら大丈夫”と思える後継者を見つけることも育てることもできずにいたため、最終的にM&Aという考え方にたどりつきました。

しかしM&Aとは、資本主義であるアメリカで生まれた考え方で、私のような昭和の人間の考えとは大きく違っていると感じていました。欧米式であるM&Aの理論はわかっても、昭和の時代で商売してきた頭の中を、180度変えるのは難しいですよね。とはいえ、その時点ではM&Aという手段が最適なのでは?という仮定があったので、まずは取引先や銀行などの知識のある方々に相談してみたものの、皆目見当がつきませんでした。

どうも話を聞いていると、“知ってはいるけれどもやったことがない”という人が多く、それでは相談相手としては不十分です。たとえるならばそれは「野球評論家」のようなもので、私は「プレイヤー」だから、理論ばかりが先に立って実務を知らない方に違和感を覚えました。私が求めていたのはM&Aの世界における超一流の「プレイヤー」だったのです。

Question

レコフとの出会いについて教えてください。

加藤(譲渡企業)

そのような時期に数多くのDMが届きました。100点満点の立派な文章はたくさんありましたが、私の心に響くようなものはなかなか見つかりませんでした。ところがレコフから届いた手紙だけが、なぜか気になって頭に残っていたのですね。文面だけ整った体裁のよい手紙ではなく、ハートがこもって心に響くような文面で、それは他の業者にはないものでした。我々の立場を熟知したうえで相談に乗ってくれるような、きちんと私たちに向けて書き綴った文面だったので、これは信用できるのではないかとピンときたのです。それでレコフと話をしてみようかという気持ちになりました。

手紙の印象である程度の信用はありましたが、担当者の4人と話を進めていくうちに、十分に信頼できる相手だと感じるようになりました。さらにその信用が確たるものになったのは、一緒に仕事を進めるようになってから。レコフの担当者は私と一緒になって、まるで二人三脚のようにすべてを進めてくれました。常に一緒に仕事をしているうちに、同じような感覚になっていって、腹の中をすべてさらけ出せる関係になっていました。

Question

締結に向けての手続きはスムーズに進んだのでしょうか。

加藤(譲渡企業)

契約の前日まで、さまざまな問題があったので正直、不安でした。恐らくそれはレコフの担当者も同様だったとは思いますが、ただお互いの目的は完全に一致していて、この話を成功させるために、一緒になって壁を乗り越えていこうとスタンスでした。まったく同じ立場で、お互いの仕事を助け合って進めていきました。それがとても心強かったですね。

契約するうえで一番の問題だったのは、私たちの関係者、すなわち株主・不動産共有者が約90人いるということでした。もともと会社のスタートが合同事業だったため、家賃収入があればその人たちにも収益が入る仕組みになっています。我々と彼らの取り分はまったく同じ、そこからかかった経費をいただく、そういうパブリックなしくみの経営をおこなっていました。私が最初に多くを取って、残りを分配するというやり方ではなかったため、相手も私をある程度信頼してくれていたとは思うのですね。

しかしM&Aとなると、若干話が変わってきて、株主のひとりでも欠けたらうまくいきません。相手が個人なら、実印すら持っていない人もいるし、資料がなかなかそろわないケースもありました。しかも遠方在住の人も多く、私が出かけていくわけにもいかなかったので、レコフの担当者にすべてお願いすることになりました。

さらに、先方都合により、途中で契約が1ヶ月前倒しになるという事態も起きて、大急ぎで準備を進める必要が生じました。問題が全く片付いていない状態で、とにかく前に進めるしかありません。それでもレコフの担当者はすばやく、粘り強く対応。問題が出てきたら、解決に向けて話を進めてくださって、その結果、株主・不動産共有者90人すべてがOKサインを出して、書類を完璧に整えて、契約までこぎつけることができました。これは奇跡としか思えません。今回の契約については、レコフの力が9割だと思っていて、彼らがいなかったら、この話は成立しなかったと実感しています。

単に情報だけを
出すのではなく、
親身になって
一緒にやってくれた

Question

レコフの担当者に対するご評価をいただけますか。

加藤(譲渡企業)

“いい道案内人に出会えた”というのが、率直な感想です。ヒマラヤ登山のような大きなことをやろうと思っても、超一流の道案内がいなければうまくいきません。先ほどもお話ししたように、当初、他の人に相談しても、知識的に私と大差ないことが多くて困っていました。“このままジャングルの中で迷子になってしまうのではないか?”と危機感をもっているところで、レコフと話を始めることができて本当に良かったと思いました。

もちろん、色々な壁もありましたが、それをともに乗り越えていった印象です。通常であれば、こんな複雑な案件で問題が起きれば逃げ腰になってしまいます。すべての90人の株主・不動産共有者のうち、誰かひとりでもアウトになってしまえば、大損害を受ける可能性だってあるわけですから。問題が起きてリスクがあるとなれば、このまま話を進めていいのか、ある段階で判断が必要になります。特に大手のM&A仲介関係者ほど、そういった言動が見てとれて残念に思っていました。

もちろんそれは、個人的な付き合いではないので、当たり前のことではあります。しかしレコフの担当者がチームとして一生懸命に対応してくれたからこそ、90人のすべての関係者が仕組みを理解して信頼してくれたのだと思います。私はそこに感銘を受けました。同じ会社で一緒に勤めている仲間のような感覚になっていきました。このM&Aがうまくいったのは本当にレコフのおかげで、手助けがなければできませんでした。

Question

ありがとうございました。最後に、M&Aを検討している経営者に向けてメッセージをお願いいたします。

加藤(譲渡企業)

M&Aを検討するということは、ほかに道がないから、やむを得ず決断を下しているという方が多いと思います。経験のないまったくの素人では、どれだけ研究しても理解は難しいもの。弁護士になろうと勉強するくらいの覚悟で何年かやれば、相当のところに行くのでしょうけれども、それでも実践経験がなければ役に立ちません。いくらレクチャーやアドバイスを受けても、本当に理解できるまでは時間がかかります。

こんな年寄りがヒマラヤ登山をしようと、極寒の地へ旅立とうとすれば、凍死してしまうかもしれません。行ったことがないし、道も知らない。そもそも登山すらできるのかという年齢で、途中で行き倒れになるに決まっています。変な業者に当たってしまえば、商売を成立させるために無理することもあるかもしれません。しかしこちらには知識がないから、そういうことがわからない。はまってからようやくわかっても、もうその時には逃げられない状況になっているかもしれませんよね。

だからこそ最高の信頼できる道案内を見つけることが重要になります。自分で探すのは難しいでしょうから、過去に経験した人の情報を収集し、本当に親身に考えてくれる人と提携すべきだと思います。単に情報だけを出してくるだけではなく、“親身になって一緒にやってくれる”というのがポイントです。そういう意味では、レコフのメンバーがしっかりとやってくれたのが非常に大きかったと思っています。皆さんも諦めず、一度ご相談することをお勧めいたします。

主な成約インタビュー

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